
第十 稲むらの火
「これはたヾ事ではない。」
とつぶやきながら、五兵衛は家から出て來た。今の地震は別に烈しいといふ程のものではなかつた。しかし、長いゆつたりとしたゆれ方と、うなるやうな地鳴りとは、老いた五兵衛に、今まで經験したことのない不氣味なものであつた。
………… 以下省略 …………
で始まる尋常小学校の教本にあった、「稲むらの火」の実話の地。
刈り取った稲に火を着け、高台にある家が火事のように見せて、消火に来た村人を津波から救った感動物語です。



館内に
浜口梧陵記念館・
津波防災教育センターがある。
・津波のシュミレーション
・安政地震津波の浸水範囲
・実話のお話
・安政聞録の津波実況図
稲むらの火の館





国指定史跡
広 村 堤 防
昭和十三年十二月十四日指定
広川町は古来より幾度となく津浪に見舞われてきた。
特に宝永四年(一七〇七)安政元年(一八五四)の大津波
は、広地区が再起不能といわれたほどの大被害をもたらした。
特に安政元年の津浪を目のあたりにした浜口梧陵翁は、浜口吉右衛門氏と諮り、中世畠山氏の築いた石堤の後方に高さ五m、根幅二〇m、天幅二m、延長六〇〇mという大防波堤を安政二年(一八五五)二月に着工し、その間三年十ヶ月・工費銀九四貫三四四匁(三五三・七九Kg)の私財を投じ、延人員五六、七三六人を要し安政五年(一八五八)十二月に完成をみた。
この堤防工事で、津波により失職した人々に仕事を与えることができ大いに役立ったのである。
御陵翁の業績に感謝し『ふるさとを大切にし、災害の恐ろしさを知り、おたがいに助け合い』を目的に全国的にもまれな『津浪まつり』を実施している。
昭和六十一年三月
広川町・広川町教育委員会 (説明版から)



和歌山県有田郡広川町大字広 【わかやまけん ありだぐん ひろがわちょう おおあざひろ】